あの日のこと

13年前の今日、何してた。
朝、地震で目を覚ました。布団の上に、鏡が倒れてきた。
真っ暗で、電気はつかない。
外に出ようにも、玄関に靴箱が散乱して、なかなか出れない。

窓の外は、車が走ってた。
大丈夫だ、(〃~∇~〃)zzz。o〇○から寝るか。

7時半くらいに目を覚ました時、電気はついてた。
部屋を見渡すと、冷蔵庫は開いたまま、冷蔵庫の上にあったレンジが、
落ちそうに斜めになっていた。

いつもの宮根誠司を見ると、もくもく煙で燃える街、倒れた高速道路。
道路にぶら下がった車・・・・・・・
あまりにも信じられない光景がテレビに映ってた。

これって家の近所じゃないの、外に飛び出し、道路沿いに歩いた。

目の前に現実が見えた。
テレビは嘘じゃない、本当だった!

いったい何が起こった。
大型スーパーの店頭に、ペットボトルの水を出し、販売をしていた。

確か水道は出てたから、買う必要なんてないね。

家に戻ると、マンションのトイレ、水道、水が止まった。
給水タンクの水が、底をついたらしい。

昨夜ヤカンで沸かした、ウーロン茶でのどを潤す。

バケツを持って、公園へ行った。

「うちの水が出るから使っていいよ」
何度かフルーツを買ったことのある、今にもつぶれそうな小さな八百屋さん、
親切に声を掛けてくれた。

火曜日だから、ハローワークに行く日。
バスが止まってるので、自転車に乗っていく。
事務所内は電気が止まり、パソコンが止まってるから、帰れ。

公園でティッシュ、トイレットペーパー、カセットコンロがもらえると、
列に並んだ。

無職だったから、しばらくボランティア、救援物資の仕分けに行った。

大きな交差点の側に住んでた。
一年以上オマワリが、ピーピー笛を吹いて、車を誘導してた。
2ヶ月くらいガスが止まった。
隣町や、大阪の銭湯、スポーツジムへ通った。

記憶から消えない、消さない、忘れない。

6件のコメント

  1. 忘れては、いけない。。。
    13年前、私は子育て真っ最中!
    朝、ニュースをつけたら
    「うはぁ!道路倒れてる! 
    「大変だぁ!どこの国だろう?!」
    「え!阪神?!日本!」
    って感じでした。
    その日はTVつけっぱなし。。。
    怖くなって防災用品点検しなおしました。
    その後、関西ナンバーの車を良く見かけた様な気がしてました。
    zakuroさんのプログがリアルで。。。
    防災用品の点検しておこっと!
    サス君のフードの賞味期限も、
    チェックですよね!^^

  2. mineさんへ>
    この日が来ると、あの日の事を思い出します。
    道路渡って、反対側に住んでたら、
    もっとひどかっただろう。。。。。。
    一人暮らしでよくがんばったなって、たくましくなりました。
    今住んでるところも、地震来たらやばいらしいので、
    フードとトイレシート用意してます。
    トイレシートは、人間のトイレにもなるらしいです。

  3. こんばんは!
    zakuroさんは、当時大阪にいらしたんですか?
    ワタシの友達も大阪にいたんです。
    その頃彼女はお腹が大きくて、旦那さんは夜勤でいなくて・・・・・。
    ワタシも朝揺れて(愛媛ですが)目が覚め、嫌な予感でTVつけたら、なんじゃこりゃ??な映像が。
    たとえが悪いですが、怪獣映画のワンシーン的な凄い映像でした。目を疑いましたね。
    速攻、その大阪の友達に電話しましたが、無事で、給湯器が破裂したとかで大変みたいでした。
    ワタシとの電話を切った後は、回線が混雑したのか全然連絡が取れなくなったそうです。
    友達のお兄さんも神戸で、慌ててマンションを飛び出したら、その後直ぐにそのマンションが崩壊したんだとか・・・・。
    災害は風化させてはいけないですよね。
    zakuroさんのBlogを読んで再確認です。
    ワタシも、もものシーツやフードは直ぐに持っていけるようにしてます。

  4. yayoiさんへ>
    当時は兵庫県に住んでいました。
    神戸市に住んでた友人が、通勤が大変で、家に泊まったこともありました。
    朝方は電話繋がるみたいですが、昼間、夜は全然駄目でした。
    携帯も基地局が倒壊したら終わりみたいです。
    防災用品、非常食しか用意してません。
    もう少し充実させなきゃ。

  5. あたしも当時、被災者でした。
    東灘区に住んでたじぃちゃんは死んでしまいました。
    ずっと忘れられない。
    カラダが覚えてるんですね。
    ちょっとの揺れでもかなり動揺してしまいます。

  6. NAOさんへ>
    わたし、被災の二年前まで、魚崎に住んでました。
    おじいちゃんの、ご冥福をお祈り致します。
    寝る時は、大きなタンスがない部屋で寝ています。
    倒れてきたら、怖いからです。